あの空は夏の中

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知りたい

ママのことを、何も知らないのではないか?

 

そんなことを、ここ数年、思っている。

 

やっぱり、自分が死ぬまで

ママが私のココロを支配するだろうと

予想した通りになった。

 

ママのことを知りたい。

 

たくさん話してくれたママ自身の過去の話・・・

私が幼すぎて理解していなかったことが

少しずつ、こうだったのでは?

と考えるようになった。

 

まず、ママの実父の名前も私は知らない。

もちろん、顔も知らないし

いつ亡くなったのかも知らない。

 

ママを知る人は、田舎の親戚だけど

その人たちに話を聞くのは、なんか

ちょっと違う気がした。

 

私が、知りたいのは

その人たちから見えてるママの姿ではない。

 

だから、パパにママのことを聞かないのは

同じ理由だ。

 

だいたい、パパとママに同じ過去を聞いても

まったく違う話になるくらいなのだから。

 

私の知ってるママを、もっと知りたいのだから

やっぱり、これは私の中のピースを繋げていく

作業なのだと思った。

 

「金の卵」と呼ばれていたと言っていたママは

15で田舎から東京に上京し就職した。

それから4年後、パパと出会い結婚するまで

働いていた。

 

子供の頃、ママが親友と会うよって

古い写真を見せてくれた。

 

同じように10代で上京したひとりで

こっちで友達になった人だったんだろうと

今では思う。

 

私が、フツーに高校生活を送っていた時期に

働いていたママたちは、そこが青春だったのかな・・・

 

ママは、母子家庭だったけど

母親と一緒に暮らせず、祖父母の家で育った。

祖父母の子供たちの末っ子がママと一歳しか違わず

姉妹のように育ったおばさんだった。

ママの母親の妹だったと理解するのに

かなり時間がかかった。

複雑すぎる・・・

 

祖父母は子沢山で貧乏だったから

孫であるママを、可愛がる余裕なんてなかったと

話していた。

ひ孫の私には、ただ、ただ優しかった祖父母は

ママには、かなり厳しかったようだった。

 

東京で働いている母親と、たまに会えるのが

うれしかったと言っていた。

いつも最新のファッションで帰ってくる母親を

オシャレな人だったと話していたけど

ママも同じようにファッションが好きな人だった。

 

ずっと、母親と一緒に住みたいと思っていたママは

15で就職を考えていた。

でも、それが叶うことはなかった。

 

母親の突然の再婚。

ママの性格からしたら許せなかったと思う。

 

私が、まだ3歳かそこらの時に

うちに知らないおじさんが来て

ぺこちゃんのえんぴつチョコを渡して

「おじいちゃんだよ」と言った。

私が「おじいちゃん・・・?」と言うと

ママは「おじいちゃんじゃない!!」と怒鳴った。

 

あの知らないおっさんが祖母の再婚相手だった。

 

祖母と再婚相手のあいだに、二人の娘がいたけど

祖母は、まったく大事にされてなかった。

いつも殴られていた。

 

私が、ママに

「なんでパパなんかと結婚しちゃったの?」

と同じ質問を、ママも祖母にしてた。

 

DV男に、2代続けて結婚してしまった経緯を

小学生で理解していたから

自分は、その負の連鎖も断ち切らなくてはと思った。

 

私が、ママを大事に思っていたように

ママも、祖母を大事に思っていた。

 

だけど、どっちも一方通行だったと

その連鎖は止められなかった・・・

 

ママも祖母も、世間一般の「母親」像とは

かけ離れている。

そして、私も、また同じなんだろうと。

 

ママが、祖母と一緒にいたかった夢や

ママが祖母を愛していた娘としてのキモチは

わかっているのに

娘の私のキモチには、どこまでも鈍感だったこと。

 

みんな、「母親」にはなれず

ずっと誰かしらの「娘」だったんだなと思った。

 

祖母には、娘が4人いたけど

ママの娘は、私だけ。

 

祖母が亡くなってからも、ずっとママは

祖母のことを考えていたのかもしれない。

今の私のように。

 

中学で「高校には行かない」と言った私に

ママは、私の絵を誰でも描けると貶して

高校くらい出ないでどうするの!と言ったのは

ママが、中卒で苦労したからかもしれないと

ようやく今は思えるようになった。

 

私が、息子に好きな道を選んでいいよと言ったり

専門と大学の進路に迷っていた時は

「行けるなら、大学の方がいいんじゃないかな」

と言ったのは、やっぱり自分が高卒だったからだと思う。

高卒と大卒では選べる進路の数も違うし

給料面でも大きく違うことも知っていたし。

 

私が、社会人になって4年目といったら

メインの大事な仕事を任されていたし

自分が考えたデザインが商品化されることに

喜びも感じていた。

 

同じように4年働いていたママは

ずっと工場だったのかと思うと

時代や学歴や生まれた土地の違いも感じた。

 

小学生の頃、ママが朝、外見てみなーと言って

カーテンを開けると、雪が降っていて

「わぁ!!雪だー!!」と、はしゃいだ。

こっちで、雪なんて、めずらしかったから。

 

高校生になると、さすがに雪なんか迷惑でしかなく

今では、大嫌いだけど。

 

昔、パパが、夜勤だった時

ママは、こっそり私たちを連れて夜行列車で

田舎に帰っていたことを話した。

 

朝、パパが帰ってくると私が

「雪降ってたー」と言ったらしく

ママが慌てて「夢見たんじゃない?」と

誤魔化したと言ってた。

 

近所の人は、みんな知ってて

深夜に夜行列車で幼児ふたりを連れて

朝には戻ってくるママを、元気だねって言って

パパには内緒にしてくれる

優しいご近所さんたちだったようだ。

 

「外見てみなー」と言うママの声は、いつも明るくて

あの雪の光景に、田舎の雪を重ねていたのかもしれない。

あゝ上野駅

あゝ上野駅