あの空は夏の中

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ほんとのところ何も知らない

体調が悪い中

ママのことを、ぼんやり考えていた。

 

ママのこと、娘の私は、ほんとのところ

何も知らないなって・・・

 

私が、幼すぎて理解できなかったことが

今になって少しだけわかってきたことがある。

 

ママの両親は離婚していて

ママは、ひいじいちゃんとひいばあちゃんの家で育った。

ひいじいちゃんたちの家族は大家族で

ママと歳の変わらない子供もいて貧乏だったようだ。

 

ママが、実の父親に感謝しているのは

戸籍を持って行ってくれたことだと言っていた。

ママが15の時にママの母親は再婚してるので

その再婚相手の名字には絶対なりたくなかったんだと思う。

 

だから、ママの旧姓は会ったこともない

じいちゃんの名字だったんだな・・・

 

高校生くらいの時に、マンガを描いてて

漢和辞典が大好きで、そこからキャラの名前を

つけたりしてた。

 

ママに何気なく

「”海”って漢字、”み”って読めるんだね。

女の子が生まれたらつけたいなー」と言ったら

ママは、「やめて!!」と怒った。

なんで怒ってるの???と思ったら

ママの実の父親の名前に「海」がつくからだと

その時、知った。

 

でも、本名は、いまだに知らない。

 

ママが田舎から上京してきた時

実の父親の親戚だという女性に父親に引き合わされた時が

あったと話していた。

父親も再婚していて子供もいたと。

それが最後になってすでに故人だと言っていた。

 

ママには、姉妹のように一緒に育った

ひとつ下の叔母(ママの母親の妹)がいたけど

叔母には、たくさんの兄たちがいたし

何より両親がそろっていたから

ママは、疎外感を感じていたのかもしれない。

 

異父姉妹のお姉ちゃんたちも、かなり歳の差があって

姉妹というよりママは母親みたいな感じだった。

 

貧乏で、幼い頃に養女に出された妹と会いたいと言っていて

テレビのチカラを借りて再会した。

結婚していて子供もいた。

何度か向こうの家に遊びに行ったこともあったし

うちにも泊まりに来た時もあった。

でも、疎遠になった。

 

ママは、「兄弟」というものに憧れがあったのかもしれない。

だから、私たちに「兄弟仲良く」とよく言っていた。

 

私が、今、弟たちと縁を切って快適に過ごしているのは

今の家族が私の居場所で幸せだからだと思う。

 

ママが、もし、パパが優しくて絶対的味方であったなら・・・

そんなことを思うくらいには、私も大人になった。

 

ママは明るくて、いつも人に囲まれていたけど

「家族」には恵まれていなかったと思う。

 

ママが、「一軒家」にこだわったのは

そこに「家族」の「幸せ」があると信じていたのかもしれない。

 

私は、ママの両親の名前も知らないし

ママの姉妹たちの名前も知らないし

ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの名前も知らない。

 

ママが亡くなって田舎との縁も切れた。

 

「ママって、ほんとはどんな人だったんだろう?」

 

と思ったりもしたけど

ママの姉妹たちと連絡を取って(連絡先知らないけど)

ママの話を聞いたところで、それはその人たちから見た

ママであって私が知りたいこととは違うと思った。

 

ママの母親も早くに亡くなって

ママも早くに亡くなってる。

 

私も、ママの歳を超えるほど生きられないと思ってる。

ママの亡くなった歳をゴールにして

やりたいことは、すべてやろうと思ってる。

そして、もし、ママより長く生きられたら

それは人生のラッキーボーナスだと思おうと思ってる。

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