あの空は夏の中

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冷たくて薄情な人間

聖地巡礼中、お義父さんの訃報が入り
すぐに東京に戻って来た。

「魚ちゃんの体調がいい時
会いに来てほしい」
それが、お義父さんの最後の言葉になった。

私は、会いに行かなかった。

お義母さんの時は、毎日、会いに行ったのに。

私は、自分が冷たくて
なんて薄情な人間なんだと思った。

布団に横になっているお義父さんの顔を見ずに
お線香をあげると
親戚から白い布をとって顔を見てあげてと
言われて
お義父さんの顔を見た。

穏やかな顔をしていた。

それが救いに感じたのに
突然、涙があふれてきた…

親戚と葬儀の話になった。
これから忙しくなるから食べておかないとねと
買って来たお弁当を配られた。

食べれる状態じゃない…

別の親戚がやって来て
お義父さんの顔を見ながら
フツーに会話したり笑っていて

お義母さんの時と
まったく同じキモチになった。

お義父さんが亡くなったのに
なんで笑えるんだろう…

お義母さんが亡くなって
お義父さんは長生きしたくないと
言った。
いつ死んでもいいが口癖だった。

それでも10年ちょい生きてくれた。

早く、お義母さんのところに
行きたかったかもしれないけど

お義母さんが亡くなってから
親戚の中で一番長く
お義父さんと過ごしたのは私だ。

お義父さんは不器用で言い方も悪いから
勘違いされやすいけど
けっして、悪い人ではなかった。

私も、たまに言い方!
とイラッとしたことあったしw

拗ねると、すぐ、わざと他人行儀になる
ところも全部わかってた。

お義母さんは、そんなお義父さんの性格を
一番、理解していたから
「あんな言い方してるけど
本心は、こう思ってるんだよ」
と、通訳が必要だったw

あの時、いっぱい会いに行けばよかった。
最後に何を話したかったのか?
なんて後悔はない。

だって
それまで、誰よりも長く一緒にいたから。

お義父さんに会うたび
どんどん食が細くなっていった。
どんどん痩せていった。
どんどんカラダも動かなくなった。

私は、そのたびにショックだった。

本当は、弱っていくお義父さんを
見たくなかったんだって
気づいてしまった…

自分が、冷たくて薄情な方が
楽だったから
そうなんだと思っていた。
思い込んでいた。

お義母さんの時は、私は身近な人の死を
知らなかった。
毎日、何かしら役に立ちたかったし
少しでも良くなると信じていた。

お義母さんと母を看取って
私は、50になった。

人が、どんなふうに
弱っていき亡くなってしまうのか
わかる歳になった。

いつも、いつも、病魔の前で
私は無力だった。

それでも、無力でも最後まで
そばにいるべきだったと思われるかも
しれない。

お義父さんは、会いたかったかもしれない。
待ってたかもしれない。

でも、私は、最後に
わがままになった。

お義母さんが危篤で危ないって時に
お義父さんは、最後まで、そばにいなかった。

当時、私は、なんで、ずっと
そばにいて最後を看取らなかったんだ?
と、思った。

最愛なお義母さんの最後なんて
見たくなったんだな…

そのキモチを、初めて理解した。

お義母さんが病気になるまで
お義父さんも
たくさんの人の死を見てきただろう。
たくさんの人の死を知っただろう。

弱っていくお義父さんを
見たくないって
わがままを通した私は

本当の親子になっていたんだ。

ごめんね…
会いに行かなくて…

まだ、お通夜も葬儀も
終わってないけど

向こうで、お義母さんと会ったら
魚ちゃんは、いつも心配ばかりかける
娘だったね!と
愚痴っていいよ…

そして、今まで、ほんとうに
ありがとう。