あの空は夏の中

雑記、ドラマ、映画、本、芸能人ブログ

「※このブログはアフィリエイト広告を使用しています」

※コメントはコメント欄にお願いします。
 ブクマでは全部に返信ができないため。

やりたいことに溢れていた

高校入学後、私はやりたいことに溢れていた。

 

中学にはなかった「漫研」にも入りたかったし

高校で「弓道部」があることを知り

今までにやったことがないことをしたいと思い

「陸上部」にも惹かれた。

そして、バイトもしたいと思った。

 

中学では、「美術部」と文化部だったので

何か新しい場所で新しいことをしたかったんだと思う。

小学校の持ち上がりではなく、まったくの新しい土地で。

 

高校は遠かった。

地元の駅までチャリで30分、電車に乗って50分

そして、またそこからチャリで30分。

片道だけで2時間はかかった。

 

運動部に入ると帰りが遅くなることや

お金がかかる部活はムリだと断念した。

 

入学して、すぐにいろんなグループの女子たちと

仲良くなって一緒に部活見学をしたり

帰りに途中下車してデパートやマックに行ったりもした。

 

でも、それは長くは続かなかった。

圧倒的に、お小遣いが違った。

毎日マックに行けるほどのお小遣いが私にはなかった。

 

いつも断っていると、そのグループとは疎遠になるものだ。

 

中学まで、私は自分から挨拶をするような社交性はなく

野生児のまま警戒したり知らない間に敵を作っていたり

ほんとにココロが許せる友達としか話さなかった。

 

だから、高校では変わりたかった。

好きになれる自分になりたかった。

 

自分から元気に誰にでも挨拶をして社交的に振る舞った。

どこのグループにも所属するほど居場所には困らなかった。

クラスの枠も飛び越え、自分のクラス以外にもグループに入っていたし

頼られる存在になっていった。

先生からの信頼もあり生徒会にも入った。

 

部活は「漫研」に入り、アニメ好き仲間ができて

私のオタク度は増していったけど、それはそれで楽しかった。

きちんと本格的にGペンでマンガを描いたり

クロッキーをやったりと基礎的なことも教わることができた。

きっと、一番楽しかった場所は「漫研」だった。

 

バイトしたいと思って帰りにファミレスの面接を受けた。

面接に受かってお給料を振り込む銀行口座を記入してきてと

言われて・・・

ママに黙って面接を受けたことを話さなきゃいけなくなった・・・

学校はバイト禁止ではなかったが、うちでは禁止だった。

「高校を出たらイヤでも働くんだから勉強しろ」

という理由で禁止だった。

これは、もちろんママの大反対の末

ファミレスに謝罪の電話をした・・・

ファミレス側は、親が反対してたらしょうがないねって

言ってくれた。

 

私は自分を変えたいと思ったけど

社交的に誰とでも話す自分も、やっぱり好きにはなれなかった。

そして、どんな自分になっても敵はできることも知った。

 

グループ内で、いぢめが起きた時も私だけ止めた。

一緒に、いぢめに加担することはなかった。

もちろんグループでは

「そんなことしてると魚ちゃんもいぢめられるよ?」

と脅迫?脅し?みたいなことを言われたけど

そこだけは曲げなかった。

 

誰?お前?と思うヤツから体当たりされたり足を踏まれたり

中学と同じく知らんヤツからの嫌がらせも続いた。

 

まったく新しい場所で、やったことがないことをしたいと

帰り道に必ず通る弓道場を見ながら

やりたいことに溢れていたキモチとは遠ざかる自分が

フッと聡ちゃんのことを思い出した。

 

天は二物を与える - あの空は夏の中 (hatenadiary.jp)

 

頭にネットをした聡ちゃんが退院して学校に来た時

同じクラスメイトだと、その時、知った。

頭のネットもすぐには取れなかったから

よく覚えていた。

 

聡ちゃんは長いこと入院してたと思う。

私の記憶に残らないくらいには。

 

病院のベッドでやることがなくてマンガを読み

絵を描く日々だったと

クラスメイトの女子に聡ちゃんは言ってた。

 

聡ちゃんがほんとにやりたかったことを知ったのは

中学の時だった。

 

私は、あの時、とてもやるせないキモチになったけど

勝手に生涯のライバルだって思ってたから。

 

ほんとは、外で伸び伸び遊びたかったかもしれない。

外を自由に走りまわりたかったのかもしれない。

 

私が幼すぎて聡ちゃんの選んだ道に納得できなかったけど

ほんとは喜ぶべきだった。

 

私が、初めて弓道場を見た時

やりたいことに溢れていた、あのキモチを

中学に入った時に、聡ちゃんは思ったのかもしれないなと

思った。

 

私は、まわりから見たら恵まれた高校生活を

送ってるように見えたと思う。

でも、私はチャリ置き場で泣きながら叫んだ。

 

「こんなん!!ほんとの自分じゃない!!

全部、捨てたい!!誰も知らないところに行きたい!!」

 

今現在・・・

私は、高校時代に知り合った友達も仲間も彼氏も

そして実家も親戚も

全部切れている。

 

あの時、社交的に変わった自分も好きになれなかったのと同じで

誰も好きじゃなかったんだと思う。

 

中学の時、野生児で好き嫌いが激しくわがままな私を

叱りつつ許してくれ大好きだよって言ってくれた

親友だけが残っている。

 

そして、私が、本当にやりたかったことだけが残った。

それは、「絵」だった。

 

「絵」を描いてて苦しんで嫉妬し妬み挫折も味わい

「絵」を描いてて生き甲斐や幸せを感じる。

そんな人間として醜い感情も幸福な感情も

すべてを感じさせる「絵」が残った。

 

本当に大好きな人だけ、本当に好きなことだけ

人生では残ることを知った。

 

そして、私は、ようやく自分をキライじゃなくなった。

幸せ

幸せ

  • back number
  • J-Pop
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes
幸せ

幸せ

  • provided courtesy of iTunes
幸せ。

幸せ。