「家」や「マイホーム」というものに
まったく、興味がない原因というか理由というか
考えてみた。
まるまる幼稚園時代から、小1の春まで
両親の「マイホーム」が、欲しい夢のために
いろんなことを、ガマンした生活だった。
両親は、夜も休まず、休日もなく
住み込みで働いていた。
子供の成長って、とても早い。
かわいい時期も、成長も見ずに
手に入れたマイホーム。
私たちは、大喜びした。
どこまでも続く階段に、はしゃぎ
団地内のスーパーへ続くオシャレなタイルに
ココロを踊らせ
ああ、これからは、毎日
帰って来たら、ママがいるんだ!!
もう、寂しい日々は終わるんだと思っていた。
でも、そうはならなかった・・・
あんなに、働いて働いて
手に入れたマイホームは、今じゃ誰も寄り付かない。
ママでさえ、最後には
別にアパートを借りる始末。
一体、何のためのガマンだったんだろうと、思う。
もっと、ママと一緒にいたかったし
甘えたかった。
でも、働いていることを知っていたから
ガマンした。
マイホームに、引っ越したら
もう、ママは働かなくてよくなるから
ずっと、家にいてくれると思っていた。
私は、鍵っ子になった。
住み込みと違う点は
外を、駆け回ることができることだった。
団地の子たちと、走り回り
木登りをし、虫取りに行ったり・・・
でも、家の中は地獄だった。
パパの機嫌が悪くなると
怒鳴って、物を投げて、食べ物も捨てて
ママを殴り蹴った。
早く、こんな家から出たいと思った。
パパは、口癖のように
「この家も、物も、全部、俺が稼いで買った物だ!!」
ママは、パパがいない時に
「全部、俺が稼いだって言うけど
この家だって、ママが働いたお金も使ってるのに・・・」
わかってる。
わかってるよ。
ふたりが、マイホームのために
休日もなく、働いてたことは
私が、一番知ってるよ。
どんなに、素敵な家を買ったとしても
中身がなかったら、意味がない。
幼い頃に住んでいた
借家だった一軒家は、みんな優しかった。
まわりの借家住宅は、似たような年頃の子をもつ
親が多かった。
しょうゆが切れたら、ちょっと貸してーと
気軽に言える近所付き合いだった。
あの一軒家が、借家じゃなかったら・・・
と、ママは言っていた。
そしたら、ずっと、暮らせたよね。
ママは、マイホームは団地じゃなくて
一軒家がよかったと、何度か、私に話した。
ママは、団地に引っ越して
同じ棟の人たちと、すぐに仲良くなった。
でも、ある時から、関わらなくなった。
一軒家の時とは違い、団地の人たちは
陰口や噂が大好きだった。
子供たちの歳もバラバラだったし
ママが、一番若かったことに対しての
僻みや妬みもあった。
めんどくさいと思った。
子供である私にも、冷たかった。
ママが、描いていたマイホームとは
かなり違ってしまった。
私は、子供の頃から
団地住みに慣れたおかげで
マンションでも、我関せずで通している。
私は、家なんて、別に買わなくても
賃貸でもいいって思ってるし
部屋も狭くてもいいと思ってる。
そしたら、いつも、家族の顔が見れる。
家族みんなが笑顔だったら
家なんて、なんでもいいんだよ。
外側ばかりで、中身がないより
全然いい。
誰も、寄り付かない実家を思うと
マイホームって、何なんだろうと思う。
自分の部屋がほしいとか
もっと、広い家に住みたいとか
もっと、物を置けるスペースがほしいとか
それは、家族が幸せの延長線上にあって
幸せじゃない時は、ただ、ひたすらに
「普通の家」に憧れた。
お金持ちじゃなくたって
家族みんなが、幸せに笑顔でいることが
一番、大切だって思う。
帰りたくない家なんて
終わってる。
それでも
団地を思い出すと
今日から、ここで暮らすんだって
ワクワクと
駆けずり回った芝生や風景が
胸をしめつける。