スーパーの売り場に、桃が置かれると
思い出す、ばあちゃんのこと。
私には、田舎に、ふたりのばあちゃん
「優しいばあちゃん」と「コワイばあちゃん」がいた。
田舎から、電話があると
受話器に出るように言われて
「どっちのばあちゃん?」と確認するのが
日課だった。
ママは、小さな声で
「コワイばあちゃんの方」だと言い
私は、イヤイヤ受話器に出て
「もしもし」
ばあちゃんは
「魚かー?今年も桃送るからなー」
「うん。ありがとう」
そして、ママに、ハイって
受話器を渡した。
自分が、親になってみて
孫の声を聞かせたいってキモチが
わかるようになった。
田舎は、福島で
簡単に会える距離じゃない。
ママは、もっと私と会話させたかったと思う。
でも、そんな親のキモチがわからないくらい
幼く、また電話もニガテだった。
「優しいばあちゃん」が、ひいばあちゃんで
「コワイばあちゃん」が、ばあちゃんだと知ったのは
かなり大きくなってから。
ママは、大好きな自分の母親を
私が、勝手に「コワイばあちゃん」と呼んでて
どんなキモチだったんだろう・・・
そして、受話器から絶対
「コワイばあちゃん」って言葉も
聞こえてたと思う。
時に、子供って残酷だ。
ばあちゃんは、電話で
毎回、今年も桃を送ると言ってて
最後の言葉も、桃を送るだった。
ばあちゃんが亡くなって
受験やら学校生活やら就活と
自分のことで忙しくて
思い出すこともなく日々が過ぎていった。
スーパーの桃を見て
ばあちゃんを思い出すようになったのは
自分が歳を取ったんだろう。
ママも、この世を去って
寂しく感じている表れだと思う。
福島の桃を買って
ばあちゃんやママのことを思い出しながら
食べた。